line

↑兄の様子がおかしいと五郎に打ち明けるタケオ。

↑伊崎は同じ団地の住人に“アマゾンの呪い”をばらまいていた。

↑ライダーキックがかわされたライダーは、ふっ飛ばされ頭を強打した。

↑ライダーがやられても果敢にアリガバリに挑む五郎。だが彼も重傷を負わされてしまう。

[第31話のラストシーン]
 当然、私の心に突き刺さったのは、いろいろな意味でこの<実在感>をキーワードにした場面です。31話「死斗!ありくい魔人アリガバリ」(脚本/伊上勝、監督/田口勝彦)は、今になってもう一度観直してみると、いわゆる“伊上マジック”炸裂の目まぐるしい1編です。物語は<ショッカーVS仮面ライダー>といった図式よりも、<五郎少年とライダーの友情>に焦点を絞った内容で、怪人、ショッカーの計画、細菌の効力、事件の内容などは基本的に重要ではないというコンセプトのもと、大胆かつ縦横無尽な展開がなされる、なんともラディカルな作品なのです。
 さて、当時の私が印象的に感じたのはラスト・シーンです。五郎が入院している病室へ、仮面ライダーがやってくるといったシチュエーション。五郎への見舞い・励ましと、宿敵アリガバリを倒した報告にくるわけです。彼は窓越しに現れ、五郎と数言会話を交わして去って行きます。仮面ライダーはいつも危機一髪の場面で登場し、怪人と同一の画面に存在し、戦闘・格闘シーンが主。背景は三栄土木や向陽台造成地の赤土でした。彼はファイターであり、いつも戦っていました。それだけに、ステロタイプからはおおよそ外れたこういったシーンに、私はやっと仮面ライダーと同一の世界にいるということを感じることが出来たような気がするのです。五郎少年は当時の子供たちの代表であり、彼と仮面ライダーの関係は、すなわち自分とライダーとの関係にほかなりません。入院患者が生活をする病室は、私たちの日常だったわけです。そして、私が実在感を感じたこのエピソードも、後の新1号編・第74話での<少年仮面ライダー隊結成>を結実・完成とすれば、そこへ至るまでの、これもまた過渡期ゆえの模索のひとつだったという見方もできるのです。

↑心に深い傷を受けた五郎は「ライダーが負けた」とうわごとを繰り返す。

↑おやっさんに活を入れられた隼人は、滝の協力もあり新しい必殺技を完成させた。

↑ライダーの新必殺技“ライダー卍キック”。

↑五郎の病室の窓辺に立つライダー。勝利の報告が五郎を死の淵から救った。

[目的は実は目的に辿り着くまでのその過程にこそある]
 私の<仮面ライダー>における実在感とは、実は最も<仮面ライダー>らしからぬ部分だったりするところにこそ存在し、そういった部分も含めて全て<仮面ライダー>なのだというところが、逆になにより<仮面ライダー>らしいとも言えるのです。結局、変化の途中にあり、そして<次>に塗り替えられ消えてゆくものの潔さに、私がいつも魅了され、それが最高に<カッコいい>と感じているこの趣味傾向自体が、70年代−私が感受性の1番強い時期に受けた影響であったのかも知れません。
 人それぞれにコダワリ続ける原点というものがあると思います。私の場合は、自分にとって根ざしているものの一端で、<仮面ライダー>が今でもファイティング・ポーズをとっているような気がします。


 
<文中敬称を略させていただきました。ご了承ください。>

line
のページ   TOPへ戻る
(C) ISIHIMORI PRO・TOEI