「親父がね「種は厚く蒔きなさい」ってよく言っていたんですよ」
 増岡さんはお父さんと非常に良い関係を持てた方なんだろう。お父さんの言葉が良く出てくる。色々な事をお父さんから教わったんだろう、今のお父さんは子供達に一体どれ程の事を教え、伝えていけるのだろう。
「種はたくさん蒔かなくちゃ駄目なんです。「共育ちと言って共に育つんだよ。どうせおろ抜いて(間引いて)しまうんだと、ポツンポツンと蒔くのでは駄目なんだよ」と親父が言っていました。”共育ち”って本当にその後の成長まで影響するんですね。そして、そのままにしておくと”共倒れ”、全部駄目になっちゃう。だからその中で見て、根がしっかりしたものを選んでそれを選定して育てる。一番最初に成ったものは”本成り(もとなり)”と言って、「これは来年の種にするんだから、どんなに食べたくても食べちゃいけない」って。キュウリはこんな大きくなって黄色くなるんです。真っ黄色に。黄色い瓜だからキュウリだとばっかり思っていました。「おいしいから食べて」って呼ぶようになる。緑だったのがちゃんと目立つようになるんです。リンゴが緑色から赤くなるように、ミカンが緑色からオレンジ色になるようにね。やっぱりキュウリも変わるんですよ、黄色に目立つようになる。その時割るとこんな大きな種が。その種を取り出して乾かして来年使うんです。その果肉はおいしいんですよ。思い出しただけでヨダレが出る。あんな渋い他の味付けで食べる歯触りだけのキュウリとは、全然違います。すぐ痛んでしまうんですけどね、その代わり果肉が真っ白でそれこそそのままちょっと塩を付けて食べても、メロンに近いような…もう! おいしいです。それはもう、人間に例えるなら25、30くらいになって色気たっぷりのお姉さんが「いらっしゃい♪」って呼んでいるような感じになるんです。果肉が色っぽいですよね。それは、種も取って役目が終わったんで、最後の花が咲くんでしょうね」
 と、増岡さんはしなり手招きの仕草までして、キュウリの色気を表現してくれた。こんなに野菜に詳しい役者さんがいるなんて、なんとも驚きで本当は農業のほうが本業なんじゃないかと疑ってしまいそうになった。
「そうやって育てられたもんですから、一番最初は大事にされて後はどうでもいいという…。トマトも、みんなそうです。スイカも、そして人間もね。昔は兄弟もたくさんいたもので、長男は大事にされて”本成り”と言ってね(笑)、これは家を継ぐんだから大事だと、次男三男はどうでもいい、なんてね。僕なんか次男だからどうでも良い、どこへでも行きな、って大事にされない(笑)」
と、高らかに笑うが、本当はそれが良かったのではないのだろうか? 長男には有無を言わさず家を継ぐという生まれながらのプレッシャーと束縛のようなものを課せられていたわけで、それらが一切無い次男から下の兄弟は大事にされない、というよりは家はないがむしろ自由を与えてもらったのではないのだろうか?


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「次男だからこそ、お好きな事が出来たんじゃないんですか?」
と、農業とはおよそかけ離れた現在の職業に就いてる増岡さんに訪ねた。
「そうですね。実家は農家でしたが、今は全然。でも若い頃は手伝いました。
 高校を卒業した後は絵を描こうと思って、絵の学校へ行ったんです。僕は中学を昭和26年の卒業ですので、僕らが育った頃は日本の工業化が進む頃で、高等学校は工業高校の機械課なんです。でも、だんだんやっているうちに疑問を感じて工業をやっていて幸せになれるのかな? って思い始めて」
 この辺りはやはり土と共に暮らしている人ならではというか、生き方が垣間見えるようだ。
「なんかちょっと文学かぶれもしまして、小説や詩みたいなのを書いたり、そのうち絵が描きたくなって。中学の時の担任の先生が日本画の先生で。よく日展に出しては落ちてた人ですが、僕は素晴らしいなと思っていたらいつの間にか絵の学校へ行きたいな、って思うようになって。絵を描き始めて、油絵ですね。芸大へ入ったんですよ。でも2年で辞めてしまいました。入るとどうも長続きしなくて(笑)」
 どうして? 芸術大学まで入っておきながら…もったいないとしか言いようがない。
「どうもこれはアカデミックな先生養成所みたいだ、卒業しても絵描きになれないんじゃないかと思うと、もっと自由な絵を描きたくて」
 なるほど。
「大きな絵を家の蔵の2階で描いてそれをトラックで持って行って出品しようとしたら、上野の美術館の入り口に入らない!「じゃあ、半分に切って出します」と言ったら「君はどういうつもりなんだ!?」って(笑)」
 う〜ん、確かに。絵を描く時には全体の構図とか考えているはず、それを入り口に入らないからと言って半分にするなんて、普通の感覚では信じられないだろう。
「僕は18歳で二科展に入選したんですよね。それでちょっと新聞に書かれたりなんかして。そのころ一番偉い東郷青児っていう画伯がいて、二科展の天皇と言われる人でその人にかわいがられてね。「お前は才能ある」って言われて子分みたいにしていたんですけど、これもちょっと飽きたらず…」
 おや? また飽きちゃったんですか? というよりはまた何か新しい事がやりたくなったんですね。
「東京に出てきてプラカード持つだけで、お金を現金でくれるっていうんでサンドイッチマンをやりました。その仲間で演劇をやっている人がいて「舞台装置やらないか?」って誘われて、じゃあ、舞台装置を作ろうって演劇の世界に入ってしまって…。でも、人生真っ直ぐには行かないですね」
 役者ではないにせよ、ようやく芝居の世界に入ったのにまだまだ波乱があるようだ。

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