「ニューヨークでも、禅寺に行ってましたからね。外国人の坊主に、禅問答なんかしかけちゃったりしましてね。今思えば、何をやってたんだろう、俺、バカみたい(笑)ってなりますよね」
そもそもニューヨークへ行った目的は、なんだったんだろう?
「私医学部ですから。役者になる気はさらさらなかったです」
医学部? お医者さんですか?
「精神科医でしたけど、目指してました。親父への反発だったんですよ。親父はプロレスのレフリーで、肉体を使う仕事。それがイヤだったんですよ。だから、僕は頭を使う職業の人になりたかったんです。精神科医になって…ニューヨークの東洋人の精神科医って、儲かるんですよ(笑)」
と、ちょっと冗談めかして菊池さんは自分が、医者志望だったことを教えてくれた。
「本当は、大学院の研究室に残って「比較宗教学」とかを研究していたかったんですよ。生業は精神科医で立てて(笑)。そういう甘いことを考えていたんですわ。くくくく(笑)」
自らの若さ故の甘い考えをあざ笑うかのように、菊池さんは声に出して笑った。そんな医者志望の学生を、演劇の世界へ引きずり込んだものは何なのか?
「高校の時からシナリオセンターとか行ったり、趣味として自主で映画を撮っていたんでね。でも、役者より演出のほうにすごく興味があって…」
なるほど、地盤は出来ていたのだ。
「ニューヨークで大学を中退して、演劇学校のオーディションを受けて。とりあえず役者の勉強をしようと、役者の気持ちが分からないと演出出来ないから。それが、なぜか役者になっちゃったんです」
なっちゃった…って、なりたいと思っても、なかなかなれるモノではないのでは?
「なんかねぇ。ラッキーなんですよ。でも、ニューヨークではプロの舞台なんて踏んでませんから。ほとんどアマチュアの延長に毛が生えたような、ちっちゃな舞台とか、映画にちょっと出てたくらいですから。今は日本資本やアジア映画が結構あるから、東洋人の役も多いんですけど、僕が日本に帰って来る頃1982年頃は、もうアジア人の役とかは無いんですよ。特に、ネイティブスピーカーじゃない、英語が母国語じゃない東洋人に役なんか無いんですよ。チャンスがなかったですね。もうちょっと残ってやってみようかなとも思ったんですけど、役がないんじゃしょうがないなと思って。で、日本に帰ってきたんですよ」
と、アメリカの映画事情を、ものすごく身近なものとして語ってくれた。それにしても、医学部を中退してしまったのは、とてももったいないこと…。なんとか両立して医者にも、役者にもなってしまったら良かったのでは?
「もうビット数飛んじゃって、詰め込みすぎて(笑)」
と、自分の頭を指して笑いながら話す。
「ビット数飛んで、鼻血出ちゃったから。いやいやホントに(笑)。これ以上やると死ぬなぁって」
そのいい方、身振りにケラケラ笑ってしまう私が、本気にしていないと思ったのか、菊池さんはムキになって話す。でも、それが余計に笑いを誘うのだ。
「帰国後は、周りはビックリですよね?」
笑いを止めるためにも、質問をした。
「そうですね。医者が役者になって帰ってきちゃったから。一字違いだけど。親泣いちゃったって感じで。「何をやっているんだ、お前は」って」
まあ、確かに“医者”と“役者”じゃ字こそ一字違いだか、その内容たるや全く正反対の位置にあると言っても良いくらいだ。そこで、前回紹介したように嫌味を言う親戚の出現となるわけだ。さて、そんな菊池さんの帰国後はどんなものだったのだろうか?
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