写真 かく言う山崎さん御自身はどんなお子さんだったんだろうか?
「中学校までは割とエリート学校だったんですけど。ある意味すごくしっかりしてる子供。母親から言わせると「かわいくなかった」(笑)。母は僕と話をするのがすごく緊張したらしいんですよ。例えば僕は新聞を読み始めたのが小学校3年生だったんですね。で、親父との会話が社会情勢の話とかをしているような子供で、いわゆる田舎であるじゃないですか“神童”みたいな。割となんかそういうポジションにいて、子供同士で遊んでいてもどこかこんな感じで」
と、「しらーっ」とした表情をしてみせる山崎さん。神童ですか…。
「子供同士で「かくれんぼしようぜ! 缶蹴りしようぜ!」ってやっても、一応みんなの前でははしゃいでるんですが、でも裏に行ったら「はぁ」って」
とまたもやしらけた表情。本当に? いくらなんでも子供のころは無邪気に遊んでいたんじゃないの?


「いや、本当ですよ。そう言う子供でとにかく勉強するのが好きで」
“勉強が好き”って、確かvol.5の白倉プロデューサーの子供のころもそうだったと聞いたが、このふたり対談したらとんでもないことになるのでは? でもちょっと見てみたい…。
 当然、勉強好きなら「勉強しなさい!」という親特有の呪文は聞いたことがなかった?
「まるで。こと勉強に関しては強制されることは無かったんですよ。でも、自分で公文とか見つけてきて。小学校4年の時に既に因数分解とかやってました。公文ってどんどんやらせてくれるんですよ、年齢に関係なく。高校1年生くらいのところまでやって。小学校5年生の時だったかな、地元の中学校がすっごい荒れている学校だったので「そんなところへ行ってもしょうがないだろう」と思って、母親に「僕、中学校受験してもいいかな?」って。もちろん学校も自分で見つけてきて、そこに行くために塾も自分で見つけてきて。全部自分でやりましたね。一応、県下ナンバーワンといわれる私立の中学校に合格しました」
ほ〜〜〜〜。自ら進んで塾通い? 信じられない。
「笑いながら数学やってました、はははははっ解けた! みたいな。楽しいですよ。未だにね機会があったら数学をやり直したいんですよ」
“飽くなき探求心”といったところか。そんな山崎さんでも苦手な科目はあったようだ。ちょっと安心。
「中学校に入ったときに理科だけがあまり興味が持てなかったんですね。で、受験結果は理科以外は全部トップの成績だったんですけど、理科だけが総受験生の中でも平均以下で。好きなことはバーッとやる、ある種燃え尽き症候群みたいで。その中学受験でどうやら燃え尽きちゃったみたいです。「こんなものなのか?」っていうのがすごくあって、その頃から感覚的なものに囚われていくようになっていったんです。それが例えば音楽であったり…正解のないモノに惹かれていくようになっちゃったんですよ。算数・数学とか、勉強って正解があってそこにたどり着くまでのルートを僕の場合は楽しんでたんですね。「よっしゃ! 繋がった!」みたいなパズル的な感じで。それが、中学校入った時点でだんだん音楽とか映画のほうに夢中になっちゃって。それで親はかなり心配したらしいんですよ。急に勉強しなくなって、しかも夜空眺めて「この星空ってどこまで続いているんだろうね」とか言い始めたらしくて(笑)。親父に一言「お前そんなこと考えてたら、頭おかしくなるぞ」って言われた記憶があるんです(笑)」
どうやらここが山崎さんの第1の人生の転機だったようだ。
「まるで勉強することの意味なんてまるで分からなくなっちゃって。で、中学校3年生の時に進路指導室で先生に突然「あの〜、今月付けでもってこの学校を辞めたいんですけど」って。先生はびっくりして即母親が呼ばれました」
いやはやなんとも。自分が受験したいと言い出して受けた学校を、いとも簡単に自分から辞めるだなんて。苦労して合格した子ならきっと言い出さない、いや何があっても学校にしがみつくことだろう。そこがやはり勉強の苦なくして入学出来た山崎さんならではの発想なのだろうか? 
「この学校は完全エスカレーター式だったんですよ。各学年3クラスくらいしかないようなこぢんまりとした学校で。高校受験もないけど、外部の学校を受験するのも許されない学校だったんで、一度地元の学校に編入してワンクッションおいてから、普通の高校に行こうに行こうと思って」
常に先のことを考えているわけだ。が、それにしてもご両親はさぞかし驚いたころだろう。
「で、母親がすぐに来て先生としては僕を説得して欲しかったみたいですけど、母は「この子は昔から何でも自分で決めて、絶対やっちゃう子なんです。息子が言うなら辞めさせてください」と」
子供のことを理解して、信用してくれているご両親なんだと、うらやましくさえ思える。
「3ヶ月間地元の公立の中学校に通って、地元の高校へ、可もなく不可もなくという学校へ入りました。でも、もうバンド漬けですよね、高校に入ったら。とにかく授業中とかでも常にイヤホンでメトロノームを聴く」
と、当時の隠れ技を教えてくれた。胸ポケットに忍ばせたそれから伸びたイヤホンを袖の中に通し、頬杖を付く形で耳まで繋げる。そこまでして聞くメトロノームの意味は?
「リズム感を良くしておかないと」
大まじめな顔で答える山崎さん。メトロノームってお金持ちの子の家に行くとピアノ上に置いてあった「カチッ、カチッ、カチッ、カチッ」と左右に揺れるあれ、ですよね? あまりに不思議だったので再度確認すると、
「そうです。電子音のピッピッピッっていう薄いのがあるんですよ。それのイヤホンをセロハンテープで手に付けて。でも、先生は分かっているんですよね(笑)。それでも、あまり注意はされなくて「しょうがないな、あいつは」位でした。授業中も結構寝ていることも多かったですよ(笑)。ただ、夜遊びとかはしなかったですね。うちは躾はすごい厳しかったんですよ。なので門限も6時とか7時とかで、家族揃ってご飯を食べることに異常な執念燃やす家庭だったんです。ですから友達と夜遅くまで遊ぶとかは全くなかったですね。そういうことをやっているとバンド活動のことについて言われちゃうんで。でも、勉強はしなかったですよ。しなかったですけど生活はもうちゃんとして、とにかくバンド。バンドだけですね、あの頃は」
なるほど、授業中にメトロノームを聴くのも、夜遊びしないで家族で夕食を食べるのも、全てがバンド活動の為だったという。そこまで山崎さんをのめり込ませたバンド活動だか、この辺りの音楽活動については次回、ゆっくりお届けしよう。


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さて、このコーナーお決まりの質問、子供の頃によく見たテレビ番組を聞こうと思ったが、何しろ勉強が趣味だったから、あまり期待は出来ない。案の定、山崎さんの答えは
「見なかったですね。ぶっちゃけた話『仮面ライダー』も見たこと無かったですから。存在は知っていましたよ。でもリアルタイムで『仮面ライダーBLACK』を観てました、というのは無いですね。せいぜいたまに見るくらい。テレビ自体あまり見なかったですね」
そう言いながらしばし考える山崎さんの口から出たのは意外にも
「“ドリフ”くらいですね」
“ドリフ”といえば、もちろんドリフターズの『8時だよ 全員集合』のこと。みなさんお分かり頂けますよね? 
「うちの親父が“ドリフ”好きで、親父は“ドリフ”と『トムとジェリー』が大好きなんですよ。当時夕方の4時から再放送やってたんですけど、『トムとジェリー』の再放送がやっている期間は、親父は4時に帰ってくる、『トムとジェリー』見るために。再放送だから見たことあるのに、僕でも覚えてるのに、やっぱりお腹を抱えて笑って。“ドリフ”も大笑いしながら見てて。ちょうど『俺たちひょうきん族』も放映が始まってて、クラスの中でも派閥が別れててましたね。でもうちは親父が“ドリフ”! あんなにパターン化された笑いを、親父は毎回腹を抱えて笑ってましたからね(笑)。記憶にある子供番組は…後は『ガンダム』位ですね。『ガンダム』自体も“ニュータイプ”と言ったそのストーリーが好きだったんですよ。ちょっと精神世界的なところがあったじゃないですか、そう言う部分が好きでした。台本のような本が売ってて、それを買ってずっと読んでましたね」
意外だった。いわゆる“ガンダム世代”ということなのか? 『ガンダム』も『仮面ライダー』同様マニアだけのものではないことを実感。

 さて、そんな勉強好きでテレビもあまり見なかった子供が、今は逆に子供たちが見るテレビ番組に出演している。なんとも不思議な感じだ。中・高校生で音楽に目覚めたとはいえ、現在の役者・山崎 潤にはまだたどり着けない。そこには一体どんな人生の転機があったのか…。
 続きは次回のお楽しみということで、今回はここまで。


to be continued




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 Present
who ◆山崎 潤(やまさき・じゅん) 1975年5月8日生まれ。牡牛座。福岡県出身。
身長180cm/体重60kg。特技:剣道初段・ドラム・DJ・乗馬。

芸歴:TV『外科医・夏目三四郎』純役、映画『ホワイトアウト』テロリスト山崎史郎役、『カルテット』保坂一馬役やCM『J-PHONE STORY「疾走編」』などに出演するなど、幅広く活躍中。
レターのあて先:〒160-0004 東京都新宿区四谷4丁目19番地 株式会社アモン
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構成/すねやみえこ
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