八木喜多をご愛読の皆様、2ヶ月のご無沙汰でした。
今回の八木喜多は、いつもとは内容を変更させていただいて、少しだけ昔話にお付き合いいただければと思います。
当コーナー視聴の皆様も既にご承知かと思いますが、ピアニストであり作曲家である羽田健太郎先生が、6月2日午後11時53分、肝細胞がんのためお亡くなりになられました。58歳でした。心よりご冥福をお祈りします。
羽田先生の近況については、多少は体調のことも伺っていましたが、あまりにも突然の訃報で、正直驚きを隠せませんでした。
生前、たくさんの音楽の仕事をされ、僕ごときが何か語ることがある筋合いではないのですが、2003年に「爆竜戦隊アバレンジャー」の音楽を担当していただいた時の思い出話をいくつかご紹介させていただきながら、故人のご冥福をお祈りさせていただけたら、と思います。
当時、ハリケンジャーが終盤に差し掛かり、そろそろ新戦隊シリーズの準備にとりかかり始めた2002年の秋頃、チーフプロデューサーの日笠氏と、次の音楽作家は誰にしようか、という話題になります。
プロフィールにあるとおり、僕はハリケンジャーで戦隊シリーズの音楽制作スタッフとしてデビューして、お蔭様で作品は好評を頂くことが出来ました。番組立ち上げ当時、本地先輩が急に他のレコード会社に移籍してしまったための代理ディレクターとして、右往左往しながらも、東映の各スタッフに支えられて、ようやく戦隊シリーズの仕事の「い・ろ・は」も掴めかけてきたような気になって来た時期でした。
そんな頃、日笠プロデューサーから、「来年の戦隊は恐竜をモチーフにすることになる、巨大な恐竜が怪獣映画のように画面を暴れるイメージが作れればいい」という話がありました。
当然、日笠プロデューサーの頭の中には、色々な作曲家の候補もあったと思うのですが、直感的に、「でかい音楽、でかいメロディ、でかいアレンジ」というキーワードから、あるアニメーション作品のBGMが思い浮かびました。未来の地球で、全長1キロ以上もある巨大戦艦がトランスフォームしてロボットになり超巨大メカ戦を繰り広げる作品です。
その作品では、戦闘機によるスピード感溢れるスコアや、コミカルなスコア、その他印象的な映像音楽が多彩に創り上げられており、戦隊シリーズで必要とする様々な音楽を全て網羅しているような気がしました。
その作品の音楽を担当していたのが羽田健太郎先生でした。思い切って日笠プロデューサーに「羽田健太郎、というアイデアはいかがですか?」とぶつけてみたところ、日笠プロデューサーは少々面喰った様子でした。
スーパー戦隊の音楽を担当するのは、実は相当ハードな仕事で、体力的にも、予算的にも、ベテラン作家を起用するのは難しい制作状況にあります。多分、日笠プロデューサーには、大御所作家の名前がとても突飛なアイデアに聞こえたのだと思います。
それでも日笠プロデューサーの「やっていただけるのであれば、楽しい音楽が生まれそうです」という判断で、羽田先生との相談が始まりました。まだコロムビアが赤坂にあった時代の話です。数え切れないほどのアーティストや作家、制作関係者が打合せしたであろう、赤坂のコロムビアロビーで、羽田先生のマネージャーとの打ち合わせが始まりました。
羽田先生は、当時からテレビのレギュラーや様々なドラマの音楽の作曲、他に全国のコンサートや講演、と、スケジュールに全く隙間の無い多忙な生活を送っていらっしゃいました。年間の、戦隊シリーズの音楽制作のスケジュールと、制作しなくてはならない曲数を相談しながら、やはり、羽田先生に受けてもらうのは難しいかな、と思いつつスーパー戦隊シリーズで小さな子供たちに「ハネケン」のスコアを聴いて欲しい、という想いを伝えた記憶があります。
そんなこちらのオーダーに、羽田先生は快く「アバレンジャー」の音楽を引き受けてくださることになりました。
但し、やはりスケジュール的に大変多忙であるのと、楽曲数が非常に多いことから、ヘルシーウィングという作曲家ユニットを組んで、羽田先生に縁の深い3人の若手と戦隊シリーズでも実績のある、山本健二氏の5人で「アバレンジャー」の音楽に取り組んで頂けることになりました。
スタッフィングが正式に決まって、初めて羽田先生に挨拶に伺ったのは都内のオーケストラのリハーサルホールの小さな和室の控え室でした。戦隊シリーズで、番組のチーフプロデューサーが、作家への挨拶にわざわざ出向くのも異例なことですが、やや緊張気味の日笠プロデューサーと僕を、テレビで拝見する通りの大きなギョロっとした目玉で見据えて、それから、独特の笑顔で、握手を交わしました。羽田先生は、「小さな子供たちが心待ちにしている番組の音楽」ということをとても大切に考えて下さっており、ベテランらしからぬ決意を語って下さいました。
と、同時に作家として若手の映像、音楽制作スタッフと同じ土俵で仕事をする、ということにも非常に前向きな姿勢をお持ちで、偉ぶったところなど一つもなく、スタジオの中では、同年代の作曲家と仕事をしていると思わせる気さくさでお仕事をさせていただきました。音楽録音に集まった関係者は、みなその暖かい人柄とスピーカーから流れる音楽の雄大さに酔いしれました。
年間を通して、2回の大きな音楽録音と、劇場版用音楽の録音、挿入曲と、たくさんのスタジオの現場、そして「題名の無い音楽会21」への遠藤正明氏のゲスト出演、と1回の連載では語り切れない想い出がたくさんあります。
今回は、他ではあまり語る機会もないであろう制作エピソードをお話しさせていただきます。
番組がスタートしてから暫くして、1回目の大きなBGM録音も終わり、番組挿入曲の制作を進めていた時に、当然現場からは、「羽田先生に曲を書いてもらいたい」という要望が出てきます。
まず、恒例のロボ歌、「爆竜合体アバレンオー」をかいて頂きました。これはこれで、アバレンオーのBGMともリンクして王道の戦隊ロボットソングに仕上がりました。そして日笠プロデューサーとも相談したのですが、せっかく、羽田先生に参加してもらっているのだから、子供向けの明るくて楽しい歌を作りたい、ということになり考えたアイデアが「マンボ」だったのです。
「爆竜マンボ」ってなにか響きが楽しそうでいい、ということで、早速羽田先生に作曲の依頼に伺いました。この楽曲は、先行して八手三郎による仮の詩のイメージがあって、詩先と呼ばれる手法に近い方法で作曲を依頼したのですが、発注の時には「とにかく、子供たちが楽しめるマンボを作りたいので、楽しい曲をお願いします」とお話させていただきました。暫くして、デモテープが出来たとの連絡があり、届いたデモテープを早速聴いて見ると、ちょっと想像していたメロディと違う仕上がりのメロディに仕上がってました。
実は、あまり「マンボ」に聞こえなかったのです。メロディの仕上がりに困惑しつつ、日笠プロデューサーにも聞いてもらうと、やはり同じような反応です。羽田先生ほどのクラスの作曲家に楽曲を依頼して、リテイクを出す、ということは、まだペーペーの僕には考えられないことでしたが、それでも思い切って羽田先生に、リテイクのお願いをしてみました。メロディとしては楽しい曲なのだけれども、どうしても「マンボ」に聞こえないのです、と伝えたところ、「何!」と怒られるかと思いきや、ディレクターの想い通りにメロディが出来ていないなら直します、とおっしゃっていただけたのです。
但し、どのように直したいかをはっきり掴みたいから、デモテープを作る作業スタジオに来て欲しい。と言われて恐る恐るそのスタジオに向かうことになりました。
テレビに、地方公演に、と忙しい隙間を縫っての作業だったので、指定された時間は、平日の早朝でした。音楽のスタジオは、どんなに早いスタートでも10時というのが常識だった僕には、デモテープ制作とはいえ朝8時前からエンジニアが集合して録音を行うのが信じられなかったのですが、その日も午後には地方に出発しなければならないとのことで、強引にスタジオとスタッフのスケジュールを抑えてくださり、作業を行うことになりました。
朝8時には全てセッテイングが終了していて、羽田先生は、おもむろにピアノに向かうとメロディを弾き始めます。少し弾いては譜面に向かい、又少し弾いては譜面に向かい、わずか2、30分で取りあえずの形を作り終えます。「こんな感じでどうかな?」とピアノブースから羽田先生の声が聞こえるので、「やっぱり「マンボ」に聞こえないのですが・・・」と恐る恐る応えると、又譜面に向かい始めて、違うパターンのメロディを弾き始めます。何度かそんな作業を繰り返した後、羽田先生は「よし、これで大分楽しくなっただろう」と、鉛筆を置いてピアノから戻ってきました。書き直したメロディをデモテープの形にして聴いて見ると、まだ「マンボ」というには少し違う気もするのですが、1回目に頂いたデモテープよりも格段に楽しいメロディに修正されています。これなら楽しい楽曲に仕上がる、と思い、その譜面を頂いて帰りました。羽田先生に教わったのは「ディレクターは相手が誰であれ、自分が納得いくまで作らせなくては駄目だ」ということでした。音楽のディレクターとはどんな仕事か、と問われると、いつも曖昧にしか答えることが出来ませんが、作曲家も作詞家も歌い手もミュージシャンも、プロの音楽制作者は、どこかでその音楽に対して、これで完成、という線引きをしなければなりません。その線引きをするのが音楽ディレクターの役割なのです。
羽田先生は、相手がベテランだから、有名だから、大御所だから、という理由でディレクターが納得していないものを音楽の形にしていっては駄目だ、ということを自ら教えてくれました。
このメロディは、亀山耕一郎氏のアレンジで3人の役者さん(ティラノサウルス:長嶝高士 トリケラトプス:宮田幸季、プテラノドン篠原恵美)達によって、大変楽しい歌に仕上がりました。
後日、完成した歌を羽田先生に聞いていただいたところ、
「思い通りに仕上がった?」
と尋ねられました。
思い通りに楽しく仕上がった旨お礼申し上げたところ、大きなギョロ目で見つめながら
「良かったね。又新しい曲頼むよ」
とおっしゃって下さいました。
スーパー戦隊シリーズは、翌年の特捜戦隊デカレンジャー以降も、毎年毎年順調に続いています。アバレンジャーで羽田先生をサポートしてくれた3人の若手作家もそれぞれが映像音楽界で活躍しています。
羽田先生がスーパー戦隊シリーズに残してくれた軌跡が、いつまでも子供たちの心をときめかせられる作品であり続けられるように願いつつ、故人のご冥福をお祈りしたいと思います。
2007年6月10日
コロムビアミュージックエンタテインメント(株)アニメ制作グループプロデューサー 八木 仁
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