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皆さん、“エンジニア”とはどのような仕事をするパートか、おわかりになりますでしょうか。“ミキサー”とか、一昔前は日本語で「録音技師」とも呼ばれていました。ヨーロッパでは“レコーディング・エンジニア”などと、言ったりします。要は録音スタジオの中で録音をする人のことです。音楽を録音する時にこのエンジニアはとっても重要な位置にあります。仕事の内容はたくさんありすぎて説明するのはむずかしいのですが、思い付くままに言ってみますと・・・ |
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(1)ディレクターと相談して演奏者の人数、スタジオの響きなどによってスタジオを決める。
(2)演奏者が来たらその演奏者の楽器に向けてマイクをたっくさん立てる。
(3)立てたマイクを一本ずつチェックする。10本なら10回、40本なら40回。
(4)演奏者が音を出したら全体の音のバランスを調整する。40本のマイクがあれば40の音のバランスを調整する。
(5)録音する |
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と、まあ、簡単に言うとこんな感じですが、言葉で言う程簡単なものではなく、熟練まで、5年あるいは10年かかるといわれている仕事です。スタジオには様々な職種の人達がたくさんいて、時間も限られていますので、その中で黙々と多くの仕事をこなしている人なのです。私も今まで、たくさんのエンジニアの方々にお世話になりました。自分自身駆け出しの頃は本当に怒鳴られながら、育てていただきました。でも、皆さん、とっても音楽を愛していた方々ばかりで、素敵な音楽を記録にとどめようと一つの目標に向かっていっしょに過ごしたスタジオは貴重な時間でありました。前置きが長くなりましたが、今日は僕が、東映作品を行って来る上で欠かす事の出来なかった素敵なエンジニア、篠笥 孝(ささき たかし)さんを御紹介します。 |
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篠笥氏との初めての仕事は確か、アニメ版セーラームーンのクリスマス企画だったと記憶しています。彼はまだ、ミキサーになったばかりでしたが、常に物事に前向きで、夏の暑い日、西麻布に近い高樹町のとある地下の小さなスタジオが地下鉄の工事の振動音でしょっちゅう中断される事に、私がイライラしていた時も「ま、本地さん、あせらない、あせらない、のんびりやりましょ」と爽やかに言ってくれた笑顔を思い出します。 |
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篠笥氏と本格的にがっちり仕事をするようになったのは「激走戦隊のカーレンジャー」の頃からです。当時エンジニアの絶対数が少なかったため、この仕事の為にミキサーの予定表を見ると皆、他のディレクターに予約されており、空いているのは篠笥氏だけでした。先ほどもお話した通り、ミキサーは仕事が出来るようになるまでに5年、10年かかるわけで、新人のミキサーを起用するのをディレクター達は嫌がったわけです。だから、新人の篠笥氏のスケジュールはずーっと、真っ白、誰も予約を入れていません。自分は選択の余地なく、篠笥氏とやるしかない状況でした。 |
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「よし、こういう事なら、とことん篠笥氏とやってみよう!」僕は篠笥氏の真っ白なスケジュールに鉛筆で力強く真っ黒な線を引いて予約しました。篠笥氏とはスタジオ内で本当に音について音楽について真剣勝負をしました。彼は静かに僕の意見を聞いてくれ、また、僕も彼の意見に耳を傾けました。彼は本当に真面目で、自分が録音した音が完成すると、必ず先輩のミキサー達のもとに持って行き、意見を聞く作業を繰り返していました。嫌な先輩、恐い先輩、そういう先輩達を避けることなく、むしろ積極的に持ちこんでいた姿を何度となく目にしました。最初の頃「ダメだ」と一言冷たく言い放っていた先輩達も、彼のあまりに熱心な意見を請う姿に職人気質を刺激されたようで、最後は真剣にアドヴァイスをしてくれるようになったようです。カーレンジャーが終わり、メガレンジャーに入って暫くした頃、彼はこんな話をしてくれました。深夜にいたる録音が終わって家に帰ると、彼は自宅のオーディオのところに行ってテープの棚に今日録音したテープを日付けを書いて並べるそうです。そして、丁度1年前に録音したテープを取り出して、今日録音した音と聴き比べ、自分がこの1年でどの位成長したかを、必ず確認するそうです。その話を聞いた時、僕は彼がどんどん大きくなっていった最大の理由が、彼自身が持つ向上心とたゆまぬ努力である事を理解しました。
当然の事ながら、彼の前向きな姿勢は東映のプロデューサー、作曲家、ミュージシャン達の信頼を確実に少しずつ着実に得て行きました。もう、10年も昔の話になります。今では彼も1児の父となり、今年は海外でのジャズの録音が大きな録音賞を受賞する栄誉を得たりして、乗りに乗っている超一流のエンジニアとなっています。 |
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もうひとつだけ、彼が話してくれたことを・・・
メガレンジャーが終わってタイムレンジャーに入った頃でしょうか、彼が彼の御両親の話をしてくれました。御両親はお二人とも幼少の頃の高熱が原因で耳が聞こえないとのこと。だから、彼は幼少時代、手話で育てられたのです。現在も新潟でご健在の御両親とはファックスを使って会話をしているしているとのことでした。その、御両親が、彼の名前が初めて掲載された『激走戦隊カーレンジャー』のスタッフクレジットをご覧になって、涙を流して喜んでくださった話。そんなことを知り合ってから2年もたってからぽつりと話してくれたのでした。僕は運命の不思議さを感じました。
耳の御不自由な御両親にとって、子供が耳を使う仕事をすることになった喜びと誇りは計り知れないものがあったでしょう。でも、すべては彼の努力があったから。そんな素敵な息子さんを育て上げられた御両親に僕は敬意の気持ちで一杯でありました。
篠笥さん、これからもよろしくお願いします。 |
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本地大輔(ほんじ だいすけ)
1963年大阪生まれ。東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻卒。日本コロムビア入社。avex音楽ディレクターを経て、現在は(株)インターチャンネルに所属。戦隊から仮面ライダーまでテレビ等の中で使用される数々の楽曲のディレクションを行う。クラシックへの造詣をバックグラウンドに持ちながら、自らが求める「音による幸せ」を具現化しようと日夜奮闘中。不惑を全う出来ない40歳。
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