つまりは、ボクは人が良い。
一人称を“俺”から“ボク”と自然に挿げ替えられるぐらい、昔っから人がいい。
なんてったって、この不幸な料理長の執拗な接客には屈する他なかったのだ。
彼は、尋ねてもいない工場の栄枯盛衰を延々語り続けた。
ボクはなるたけ聞こえないフリをして試食コーナーの次の列に移動する。
遥か向こうまで並ぶ幾種類もの焼きたてバームクーヘンに目を細めた。
すると料理長も寄ってきて同じように目を細めると、今はなき工場創始者を追懐し始めた。
ボクがふんわりプリンの程よい甘さに「ほぉぅ」ともらせば
ボクの耳のすぐ横で「ふぁぅ」と大きくため息をついた。
悪いことに、ボクはボクでそれをいちいちとってしまうのだ。
そして彼はこう付け加える。
「もっと人手があれば」
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そしてボクはついに言ってしまうんだ。
「ちゅーかじゃ、なにして欲しーんよっ!」
すると料理長は窪んだ目元のしわをさらに深くして(恐らくニヤリとしてるのだ)、
「察するにそれは我々を手助けしてくださるということですかな?」と言う。
「内容にもよるさな」と俺は言う。(そろそろ“俺”に戻ってもいい頃だ)
彼はかたんと鼻を鳴らして口を少しだけ開いた。これも微笑みの類いだろう。
「だうぞこちらにお越しください」、料理長はそう言うと、
校舎からまるで体育館に続くような細い回廊に我々を導いた。
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通されたのはさっきの巨大な試食館の、さらに倍近くはある厨房館だった。
「ここが我々自慢の厨房です」、料理長はかたかたと言った。
そこは卵の殻のひとかけらさえ落ちていない、掃除の行き届いた見事な銀世界だった。
シンクもお鍋も包丁も、よく使い込まれており、そしてよく磨き込まれていた。
新品のものはひとつもないが、歴代のパティシェたちの手によって大切にされてきたものなりの輝きがあった。
どこかの大企業のフロアに並ぶデスクのように、一人専用サイズのキッチンが整然とただ続いており、
それは昔ニュースで観た事があるカイコの作業場を思い出させた。
そのニュースの中の人々は、およそ活気というものには無縁のようで、
定められた量を定められたスピードで各々がただ黙々と作業していた。
そこには仕事場独特の遍在的雰囲気があり、意志があり、熱があった。
薄明かりの中働く彼女たちに、どこか神秘的な印象を覚えたものだ。
そしてやがて、この部屋に入ってきた時から感じていた違和感が、ようやく言葉になる。
ここには、そういった気配というものがないのだ。
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気配。
それはとても重要なポイントで、そうして改めて厨房を見渡すと、そこに並ぶキッチンのどれもが
大型リサイクルショップで展示販売されている業務用台所機具にしか見えなくなった。
形はすべて統一され、元所有者達の面影さえとうの昔に蒸発し、
ただの物と成り果ててもなお放ち続ける拭いきれない生活感。それらがまるでバラバラだった。
つまりここの厨房一式は、一度も使われたことがないのだ。
彼は確かに我々自慢の厨房ですと言っていた。でも、ここじゃないはずだ。
急に胸騒ぎがしてMr.バルーンを振り返る。
Mr.バルーンはもうどこにもいなかった。
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Mr.バルーンの代わりに、2匹の小人が立っていた。
目だけが追ってくる肖像画のような目つきでこちらを見上げている。
その2匹の間に挟まって、ただでさえ申し訳ないような表情の料理長が
また一段と申し訳ない顔で立っていた。
多分この人の申し訳なさ加減には限界がないのだろう。
「本当に申し訳ありませんでした」と、押し殺した声で料理長は言う。
「ああ。わかってる」俺がそう言うと、料理長は顔を赤らめて怒鳴り出した。
「いいえ!あだたは何も分かっていません!」
そうかも知れない。
ただ、オレンジ色に変色した料理長の顔をみて“つくづくハロウィンだなぁ”と感じてしまうのは
場違いだってことくらい分かってる。そう言おうかと思ったが、思い直してやめた。
というのも、突然小人達がどんという音を上げたからだ。
料理長がまだ何か言いたげな表情のままで小人たちにもたれかかると、
ずるずると床に倒れ込んで最期にかしゃんと音をたてた。とても小さな音だった。
目線をあげると、奥の方にさっきの美人秘書まで俯せに倒れていた。
なるほど。多分俺、すげぇ分かってない。我ながら改めて感心した。
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「お前、一体どっちの味方なんだよ?」小人達は声を揃えてさらりと言った。
勿論その日本語は聞こえてはいたけれど、目の前でこうも穏やからしからぬものを見せられては、
俺だって断然イライラしちゃう。だから、そんな色々が伝わるといいなと思って、
「え?」と、言ってみた。俺怒っちゃうかもよ感全開の“ え? ”を自分なりに演出したつもりだ。
しかし小人たちは特に氣にもとめずに言い直す。
「お前、人間の味方か?それともこっちの味方か?」
さらさらのシーツを撫でるような話し方で、それがかえってカンにさわる。
……しかし、よくもそこまで見事に声を揃えてくるもので、俺はついついマナカナを思い出す。
フリップ・フラップだって思い出す。彼女達はきまっていい歌を唄う。
しかし、そんな緊張感のなさが伝わったのか、小人達は声を落として言ってきた。
俺一人ビビらすには充分な怖さだった。
「おぃ、はっきりしろよ、オルフェノク」
あーおなか痛い。 |