初秋。海上生活にも随分慣れた。 風に夏の頃の勢いこそないものの、お日さまは相変わらず元氣いっぱいだった。 やはりケンは頑なに陸にあがるのを嫌がり続け、陸への食料調達は専らこちらの役目となった。 お魚以外の食生活は彼にとって初めてだったらしく、陸のものを喜んで食してくれた。 美味しいものは元氣がでる。彼はよくそう言った。 また、ケンが甘味好きだったことも、ここ最近のささやかな発見だ。 ・ ・ ・ ある昼食の準備時、いつものように浅瀬まで寄せてもらうと、 波打ち際に光るものがあった。 それは試験管の形をしたガラス製の筒で、コルクの栓がしてあった。 かなり長い間海に漂っていたようで、中に入れられていた手紙のようなものは、 沁み入った海水でへろへろだったが、文字は読みとれた。 もっとも、それらは英語で書かれていたので、ケンに読んでもらった。 「お菓子工場」への、無料招待状だった。
お菓子工場の建つ島が見えてくるまで、ケンの波さばきをもってしても、 二十日間以上かかった。かなりの距離を移動した事になる。 招待状の“試食OK”の文句に操をたてた我々は、その間海水を飲み、 来るべき激甘地獄に備えていた。 しかしそれによって、血糖値の低下以前に純粋な栄養失調に陥ることとなる。 やっとの思いでボードを船着き場につけ、こと大地を踏まんとすると、 あろうことかケンがグズり出した。土が怖いのだという。 ここに来て“丘サーファー”を氣にするか。 今のんびりしてる場合じゃあない。ケンにはすまないとは思ったが、 ふと目にとまった“ビニール浮き”を、ぶりんと彼に被せた。 それから長靴とゴム手袋を渡し、強引に工場に続く森の中へ引きずり込んだ。 すでに陽は沈みかけていた。まっくら森だけは避けたかったのだ。 ・ ・ ・ 招待状に添えられていた地図を手かがりに、森の奥へと歩を進める。 けれど進めどもヴァニラの焦げる香りどころか、人の気配すら感じない。 嫌な予感はしていた。招待期間が過ぎてしまっている可能性は十二分にある。 或いは工場そのものが、とうの昔に閉鎖していることだって考えられた。 フクラハギにたっぷり乳酸がたまっては乳酸菌ヨーグルトを思い出し、 かかとを擦りむき、滲んだ血をみてはウィスキーカラメルを思い出した。 やがて二人は力尽き、道端にへたり込む。 地面には、せっせとアリさんが通っていた。 アリさんたちの行列は、行きと帰りの2列で音も立てずに伸びている。 帰りの列の口にくわえられていたのは、クッキーの破片だった。 目線をあげると、木々の間から開けた高台に建物が見えた。 「うおおケン!やったぞ!でたよ工場!」 ケンは浮きの中でバタバタやっている。おそらく喜んでいるのだ。 ・ ・ ・ でっかい扉が開け放たれて、中から雪のような色白美人が現れた。 「ヨウコソ。今日アナタ達ニ逢エタ事ガ、私ニトッテ一番ノスイーツデス」 なんて甘い声で、なんて甘い事を言うのだろう。 「案内役ノ、サトウデス」 甘い名前である。 「早速デスガ、研究室コース、試食コース。ドチラヲ先ニ回リマスカ?」 我々は迷わず“試食コース”を選択。よだれで窒息しそうになる。 木製のカウンターで(当然チョコレート色だ)、来賓者名簿に名前を記入するように言われる。 俺は“啓太郎”と書いた。これでどんなに食べ散らかしても、クレームはヤツにいくだろう。 名字は忘れたので書かなかった。ケンも似たような感じだろうと“Mr.バルーン”と書いてあげた。 ・ ・ ・ 造船所のような広大な空間が、一面赤色に塗装されており、ショーケースには 何千種類もの甘いものシリーズが、無差別に並べられている。絶景。 試食コーナーは基本的には自由行動であったのが、ますます氣分をよくさせた。 向こうも仕事なのはわかるが、品物を選んでいるところへのぴったり接客は大の苦手だ。 とにかくひとつ、グミのようなものを口に放り込む。言葉が出ない。宇宙的にうまい。 Mr.バルーンの結び目からそれを入れてやると、浮きはかたかたと微かにふるえた。 食ベ放題に必要なものは、並外れた胃袋でも胃酸でもない。戦略だ。順番が全てを制す。 と、誰かが言っていたが、この状況で思い出すわけがない。ぱくぱくぱく 本当に美味いものってのは、お腹にたまっていく感覚がないものだということを学んだ。 ・ ・ ・ 「コチラ、料理長デス」 ちょうど1列目の終わりにさしかかった時、さっきの女の人から声をかけられた。 やせっぽっちの男ががくんと頭をさげる。俺とバルーンも会釈する。 まさに骨と皮だけと形容できるその容姿は、およそ世界の不幸に点を打ち、 それらを線で結ぶとこうなる 。みたいな顔をしていた。 そうなると、俺は強制的な儀式のように、こう聞かざるを得なかった。 「なにか嫌なことあったんすか?」 彼のくぼんだ瞳はよくぞとばかりに光り、口を開いた。かさかさと乾いた話し方だった。 「実は、工場の従業員がどんどん減っていて、どなたか助けてくれる人を探しております」 「はぁ、そうすか」、できるだけ氣のない返事に努めた。 「ひゃあひゃあ申し遅れました。私、塩加雷蔵と申します」と、かさかさ料理長は言う。 しょっぱい。限りなくしょっぱい。きめた。この話、無視しよう。
なんていうんだろ。ヒトが良いにも程がある。 満腹感も手伝って、ついつい工場の悩み相談を受けちまう。ことになっちまう。
……ところがさ、俺、工場の研究室で、トンでもないモン見ちまうんだ。。
さて、次回『その後の海堂直夜話』 「お菓子工場の秘密。おかしいよこの蜂蜜。」 観てくれよな。そこんとこ、よろスネーク。