


スーパー戦隊への出演は、『高速戦隊ターボレンジャー』の暴魔博士レーダ役より約18年ぶり。
久しぶりに演じられた『悪の幹部』は一体どんなキャラクター性を持っているのだろうか?
「簡単に申し上げますと、激しい征服欲を秘めた独裁者です。力こそすべて。暴力で人を捻じ伏せ、征服欲を充実させる為に他人を踏み台にし、頂点に立つ事を望んでいます。また、非常に印象的な言葉も幾つか持っておりまして、『世の中は合理化の時代だ』、『楽をして力を得た者が最後には勝つのだ』という二つの台詞を喋らせていただいております。
この作品は大人の番組ではありませんが、大人の世界に相通ずるものが確かに込められています。それが今申し上げました二つのメッセージだと私は考えています。
力があって、楽をして、人を利用して、人を踏みつけてのし上って行く。こんな論理を振り回していますが、これはおかしな話ですよね。でも、そんな人間が世の中には沢山いるんです。しかし、そういう連中は最後には絶えてしまう。繁栄し続けた試しが無い。それなのに、人間は地球が始まって以来、このみっともない殺し合いを断った事がありません。戦争が絶えた事がありますか? 戦国時代まで遡ってもありはしません。相手を殺してでも生きて行く、そうした論理しかないでしょ? その延長です。それが原始時代であったか近代世界であったかの違いぐらいです。相変わらず人間はそんな欲の中で生きている訳です。欲望というものがあればあるほど付随して煩悩も多いですし、犯罪も犯す訳です。犯罪の起爆剤となっているのは人間の欲望なんですよね。だからその象徴みたいなものを今作の敵役であるヤンには持たせたかったのです。
ゲキレンジャーという作品は修行を積み重ね、学び、変わって行くという言葉を用いておりますが、ヤンはそれに対抗する反対行動を取り、ぶつかって行く訳です。そしてそこに一つのドラマが出来上がるのです」
だからヤンという人間は徹底して利己的な独裁欲の強い形で演じさせていただきました。
「本作品『電影版 獣拳戦隊ゲキレンジャー ネイネイ!ホウホウ!香港大決戦』が持っているテーマは、現代社会に相通ずるものがあると思います。言い換えれば、ある種の現代の縮図と言いましょうか。世界中が手を繋ぎ、努力をして、この地球環境の中で生きていかなければならない状況の中、ヤンは前時代的な人間として一つのテーマを投げつけているのではないかと、そんな気が私はしました。そしてヤンを演じております。
少々大人っぽい理屈となっていまいましたが、子供向けの作品だからと言って、キャラクターの心理まで子供向けにする必要性は無いのです。誰が見ても楽しい、そう思えるように色々なものを盛り込むべきなのです。この映画はご家族でご覧になられるはずですから、親子が来て、家に帰ってからでも語っていただけるような形になれれば、出演者として嬉しく思います」
ヤンのキャラクター性を知る質問が、気が付けば石橋さんの哲学について考えさせられていた。
「百人百様というか、人はそれぞれの物差しで物事を捉え、見る訳です。本作品をどんな見方をされても結構です。人の生きて来た経験、色々な履歴書を背負って生きていらっしゃる訳でしょ? その中からじゃないと物事が想像できない。だから僕達役者が役を想像する時には自分が今まで見たり聞いたり経験して来たものの中まででしかイマジネーションを働かせる事ができないんです。まったくの白紙からはイマジネーションは絶対に生まれない
模倣は想像の始まりなのです。できないからやってみる。空手を教えていても、こういう動きは動き難い。動き難い動きができるから、普通の人とは違う訳です。これで一つの経験を得られます。失敗しても失敗しても続けて、結果として四つん這いだった赤ん坊がスラリと二本の脚で歩けるようになるように、できるようになるのです。
そういう努力もしないで、こちらの方が楽じゃないですか、合理的じゃないですか、何て言わないで、先達が今までやって来た事を自分の中で噛み砕いて、飲み込んでみて欲しい。物事はすべてイマジネーションです。先ほどもお話しましたが、ご覧になっている方々がこの作品をどう見るか、感じるかは当然ですが見た方の自由です。ただ、役者は一つのポリシーを持ってやらないといけません。外見だけの姿は悪役じゃない。本当に大人しそうににっこりしてても悪い奴はいる。じゃあどうするのか、というところから始まる訳ですよね。
模倣は沢山あるし、積極的にするべきです。そして、その中から自分のものを作って行く。そうじゃなきゃ僕こと石橋雅史がやる意味が無いんです。それぞれのパーソナルを前面に出して、あなたのポリシーを投げつけて、相手を説得できるような演技をしていけばいいんです。
二人の人間が同じ役柄を演じた結果、同じモノになるはずがないのです。その中心部にあるものは同じで、表現方法が違うだけなんですよ。役作りはそんなものだと思います。
どんな表現をされるのも結構です。それぞれのパーソナルにしか出せないものが沢山あります。他の方に石橋雅史のやり方で演技しろと言ってもそれでは意味が無く、駄目なんです」
一からすべてを始めるのではなく、真似をして、そこで経験を得て自分だけのものを作り上げていくという事ですね。
「そうそう! 無からは何も生まれないんです。
ただ、中心にある核だけは動かしてはならない。これがバラバラだったら駄目だけど、それを表現するパーソナルはそれぞれで違う訳ですね」










