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「何せ長く生きているから、歴史が長いんですよ(笑)。20歳のころに自分たちで劇団を作ってプロ化したわけですね。ヒーロー物に関するならば『仮面ライダー』放映のときにショーが、今全盛の子供ショーが始まるんですよ。実は第1回の『仮面ライダーショー』は僕らがやっているんです」 と、早くもピッタリな話を始めてくれた。 「『仮面ライダー』の撮影はもちろん、御大がやっていますよね。2号の時だと思うんですけど、東映から依頼されまして、うちの劇団のメンバーが10人編成で全国を回るっていう、子供ショーの編成を任されたんです。もちろん同時期に何組かいるんですよ、4、5組いると思うんですけど。僕らの劇団で1チーム作ったんです。その時殺陣師で振り付けしたのが僕なんですよ。もちろん、アクションもしたわけですよ。僕がコブラ男に入って、仮面ライダーは誰かと言うと、風間杜夫ですよ。大竹(まこと)は声をやったんですけど。きたろうなんかは狼男かな。『お前、飛べないだろう』って子供に言われて、『飛んでやる』って言って舞台から飛んだ男ですから(笑)。大竹ともう一人がヒーローと悪役の声を、だから僕の声は大竹が当ててたんですね。で、適当なことを言ってるんですよ。それに合わせて僕は当て振りするんです。3月19、20日くらいから4月5日くらいまで、春休み期間中全国を回る。仙台を皮切りに盛岡、青森、山形などの都市を回って、全部で15日間で1日2回ステージでした。素晴らしかったですよ。僕らまだ、劇団を作ったばっかりで貧乏劇団というか、22〜23歳でしたからね、舞台は年に何回かやりますけど、その合間のお仕事って形で初めてもらった仕事ですから、一生懸命やりましたよ。待遇もすごく良かったです、当時にしてみたら。素晴らしい待遇ですよ。アルバイトの時給が大体200円未満で、1日働いて1,000円くらいの時代ですよ。その時代に1日3,000円以上なんですよ。しかも僕らは丸ごと請け負っていましたから、もっとギャラが良いんです。1ステージで僕らは8,000円ほどもらっていたんじゃないかな? これはもう、いっぱしの芸能人気取りですよ、気持ちは。だって、僕らは小汚い集団ですよ、もうヨレヨレのジーパン履いて、ところが駅に着くと、黒塗りの乗用車が何台も迎えに来てくれていて、スター扱いですから。『東京から仮面ライダーご一行様が来た』って。TVの持っている権威というのが、当時はすごかったんです。当然、僕らはTVには出てませんよ。でも、TV関係というのはものすごく力があったんですね。そんな時代です。 まさか、着ぐるみショーを経験されていたなんて、思ってもいなかった。しかも、1回や2回どころじゃない。 「22歳から始めて26歳くらいまでに、様々なヒーロー物をやるわけですよ。そういう企画会社があって、僕はそこに所属してましたからね。アルバイトを兼ねて、土日は全国のスーパー、イベント会場を回りましたね。『がんばれ!!ロボコン』でロボワルに入ってました。伊勢丹の屋上で失神しそうになりました、暑くて。そういう思い出もありますね(苦笑)。一番長かったのは『秘密戦隊ゴレンジャー』ショー。『ゴレンジャー』はこれ(戦隊シリーズ)の最初でしょ? これもやっぱり僕は着ぐるみショーに行っているんです。僕は悪の頭領で、金色のお面を被って出てくるんですよ、子供を脅しながら。とにかく、子供をどう笑わせようかと一生懸命で。ギャグのショーにしたのは、僕らが最初じゃないですか(笑)。だって、覆面の下には渦巻きの赤いほっぺに、マスカラみたいのを付けて、でたらめですから(笑)。『お前達、僕の顔を見て死にそうな思いをさせてやる』とか言って脅すんですよ。で、覆面を取るとそんな顔でしょ? 子供たちが笑うんですよ。『何がおかしい?』ってそこから入るんです。で、ゴレンジャーが出てきて戦うっていうショーですから、今の原型ですよね。その後、後楽園ゆうえんちで始まるじゃないですか、一流のショーが。バック転を切ったりする。僕たち一回もバック転切らなかったから、何も出来ないから(笑)。『ゴレンジャー』の時は剣友会の人も来てくれて、バック転切ったりいろいろやりましたけど。 そんなにお好きだったとは、これまた意外な一面を発見。斉木さんが段々身近に感じられてきた。 「何故かと言いますとね、僕はTV放送が始まってすぐに生まれているんですね。昭和24年生まれで、TV放送が昭和28年(1953年)くらいから始まってますから。その時のいわゆる日曜日の朝のラインナップっていうのは『少年忍者風のフジ丸(1964年)』とか『狼少年ケン(1963年)』とか、東映の30分物のアニメなんです。実写版ではなんだったかな? 30分刻みに9時くらいから11時くらいまで色々と入っているんです。それを観て育ってるんです」
「当時のほうがもっと派手ですよ、びっしりありました。『七色仮面(1959年)』だとかですね。SFチックなヒーロー物っていうのは、東映の専売特許じゃないですか。それを観て育っているし、僕は中学時代までチャンバラごっこをやった人間ですから(笑)。今でも忍者好きですし、芸能界一忍者通って言われてます(笑)。僕はそう言う洗礼を受けている、そういうもので育った者ですから、『魔法少女ちゅうかなぱいぱい(1988年)』『魔法少女ちゅうかないぱねま(1989年)』をやったときに、スタッフの皆さんに『これは天職ですから』って言ったんですよ。そしたら『じゃ、来年もやって』って言われて、『美少女仮面ポワトリン(1990年)』に出ることになったし、その次の年の『不思議少女ナイルなトトメス(1991年)』までやることになっちゃったんです。全部で4シリーズ、お父さん役をやりました。多分、後にも先にも僕だけどと思いますよ、そこまで連続してやったのはね。正に天職といいますか、好きなことをやらせて頂きました」 |
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