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雨だというのにスギ花粉が舞い飛ぶ3月11日。麗役の甲斐麻美ちゃん、芳香役の別府あゆみちゃんと共にアフレコ中の佐渡さんを訪ねた。なんと東映のヒーロー物には93年の『有言実行三姉妹シュシュトリアン』依頼、実に12年ぶりの出演になるという佐渡さん。
ミキサールームでしばらくアフレコ風景を見学の後、場所を移すために移動。
「花粉、今日も来てますね」
開口一番、佐渡さんは花粉症らしく、ちょっとアフレコ中も大変だった様子。挨拶を済ませ、インタビューのために用意された部屋に落ち着いて、インタビューを始めさせていただいた。 |
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最初に東映のヒーロー物に出るきっかけとは何だったのかを訪ねてみた。
「当時、植田(泰治)さんというプロデューサーの方がいらっしゃったんですが、よく小劇場を回られていて、斎藤晴彦さんや、朝比奈尚行さんをこういった番組に起用されていて、そういった流れで、うちの劇団の芝居も観ていただいていたみたいで、お声がかかったんじゃないかと思うんですが……。それで『ロボット8ちゃん』に1回出て、その後に『バッテンロボ丸』のレギュラーになったんです」
なるほど、当時は小劇団の役者をTVのドラマなどにスカウトする、一種のブームといってもよい時代があったのだが、佐渡さん達にも、そういった必然的な流れの中、出演のオファーがあったものと思われる。それだけ佐渡さん達「東京ヴォードヴィルショー」の芝居が目を引いたのだろう。 |
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まず最初に、佐渡さんに関して、あれこれと子どもの頃からの経歴を伺ってみた。
新潟県の佐渡島に生まれた佐渡さんは、子どもの頃のヒーローだった長嶋茂雄さんに影響を受け、野球少年として毎日を過ごしたという。
「現役選手だった長嶋茂雄さんという人が僕にとってのヒーローだったですね。それとプロレスの力道山。年が分かるでしょ(笑)。相撲なら“栃若”。栃錦と若乃花、そして大鵬ですね。“巨人、大鵬、卵焼き”の時代ですからねぇ」
そして小学生の頃、スポーツ少年だった佐渡さんは、毎日野球ばっかりやっていたのだそうだ。
「小学校6年生の時に、野球部を作ろうって作ったんだけど、中学に入ったら、おまえ体操部に入れって言われて、入れられちゃって(笑)1年間やったんですけど、やっぱり止めさせてくれと言って、2、3年生の時は野球部に入ってましたね」
そんな佐渡少年に、ある転換期が訪れる……。
「ちっちゃい頃から脚も速かったもんですから、高校生になったとき、野球はやりたかったんですが、陸上部に入ったんですよね……高校からは陸上1本で野球はやらなかったですね。劇団作ってからみんなでチームを作って、朝5時半から練習! っていって、6時くらいから試合やったりしてましたけどね」
そんな陸上部での活躍は、どの様なものだったのだろう?
「110mハードルをやってまして、高3の時にインターハイ、新潟県代表の国体選手になってと、一応凄かったんですよ(笑)。で、4校くらい大学からセレクションを受けないかと誘いがあって、そんな時に憧れの長嶋監督の通った立教大学から誘いがあったんです。その頃、どうしても東京に出たいと思っていたので、これはしめた! と思って、関西の学校を全部断って立教を受けたら、見事落ちまして(笑)。それから挫折ですね」
願ってもない誘いもむなしく、夢が潰えた佐渡さんだったが、このときはまだ、お芝居のことなど考えてもみなかったそうで……。
「だから、大学に受かっていたら4年間陸上をやって、それからどこか企業か何かに就職するか、学校の先生になるかだったんですけど、見事に落っこちたもんですから、結局ぶらぶらと……1969〜70年でしたから東大闘争で、大学をロックアウトしてみんな学生運動やりながらぶらぶらしてる時代で……何やっていいか分からず、アルバイトしながら3年、4年と暮らしてたんですよ。そんな時バイト先に俳優の養成所に通ってる男性がいたんです」
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