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そして唐橋少年は少年消防団にも参加していた。動機は今イチ不純のようだが、その経験は今も生かされてい…る?
「後楽園の野外ステージ、今はちょっと変わったんですけど、古いときに消防団で消化器のデモンストレーションをしたことがありますね。その消防団に入ったのも、そのぜん息持ちのマサトくんが消防団に入って、当時夢子ちゃん役をやっていた可愛い女の子も入って。日曜日に遊ぶ相手がいなかったので、俺も入る、って(笑)。月会費500円でジュースとか飲み放題だったのでこれはいいなって(笑)」
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これはだいぶ本格的な消防団だったようで、ユニフォーム着用で、縄の結び方や火災の際の逃げ方など、教わったそうだ。ボーイスカウトのスカーフに憧れがあった唐橋少年は、上下紺のユニフォームにちょっと残念だったとか。もちろん、ユニフォームを着ること自体は楽しかったそうだが。
「小学生のときは家が4階だったんですけど、4階までエレベーターで上がって「あそぼ」って面倒なので、自分の部屋から滑車を付けていらないキン消しをおもりにして凧糸を下まで通して、キン消しを引けば友達が来たって分かるような仕掛けを作って…それもグーニーズですごい仕掛けがあって作りたいなぁって思ってたから。そしたら、夜中に鳴ったんですよ! 「は?」っと思って行ったら、下のラーメン屋さんのお兄ちゃんが「なんだコレ?」って引っ張ってたっていう(笑)」
なんとも創作活動に意欲的な小学生だったようだ。さらに勢いに乗って、こんな話までも…
「あ、初恋は小学校1年生のときで、6年間同じ子が好きでした。卒業式の翌日にうちは、福島に引っ越すことが決まっていたので、最後の懇談会の時にお袋が「ほら、好きなんでしょ、言ってきな」っていったんだけど「イヤだよぉ!」って(笑)。そのまま福島に行ってずっと頭を抱えてた(笑)」
と、とても告白はできない正に恥ずかしがり屋な子だった唐橋さん。今になって…
「可愛かったなぁ。今何してるのかな? 中学校では3年間ずっと好だった女の子に、また卒業間近に石投げて泣かしちゃって(笑)。一言も「ごめんね」も言ってないな…」
って、好きな子いじめちゃうなんて、典型的な悪ガキじゃないですか。
「なんで石投げるんですか」
と聞くと
「いや、なんか…、投げてたら当たっちゃったんですよ」
と照れ笑い。あのころの幼い恋心は本人にもわからないものらしい。
さて、唐橋充ヒストリー、次はいよいよ思春期、中学高校の話を伺います。
「小学校を終えた僕は、福島に戻ります。僕は東京でやっていたので、中学校で僕だけアルト笛が吹けたんですよ。福島では小学校の高学年はピアニカだったんですね。東京はアルト笛だったんですよ。上手く吹けたら嫌われちゃって「カッコつけてるぜ。ちょっとイントネーション違うぜ」っていわれて。ヤダったな、中学校3年間は」
ちょっと暗い思い出が…。環境の違いは大きな障害となったようだ。そしてエピソードは早くも高校時代へと進む。
「中学校を出るときに進路相談で、「とにかくこの学校から卒業生が行ったことのない高校に行きたいです」と言って、「30年前に一人行っているけど、ここでいい?」っていわれて(笑)。行った高校で体操を始めて、すごい楽しかったですね」
と、遠くを見るような目に変わった。
「小学校でサッカーと水泳、中学校で野球、高校で体操。ずっと忍者になりたい夢があったんでとりあえず体操、バック転だろうと思って」
本当はかなり前から体操をやりたかったそうだ。まず小学校時代では『キャプテン翼』に憧れて通っていたサッカースクールに体操クラブもあり、そこに入りたいと思った矢先に引っ越しで東京へ。中学時代野球を始めたのも、体操部が無かった中学校だったから。そして高校生になって、やっとやりたかったことが初めて出来たんだそうだ。そしていよいよ取り組んだ体操。忍者に向けて猛練習に励む唐橋さんに、“女は邪魔だ”と自らルールを課した。
「その1年間は僕から女の子に声をかけなかったんですよ。無駄ですよね〜。なんか自分でルールを決めてしまうっていうか、いつから出来たんだろうな。今でも僕の中でのルールがたくさんありますよ。…大変だなぁ、カラハシ君」
さらに、なぜか友達もいなかった…なぜなら
「老けていたので。二十歳の時の写真と今と6年間一緒なんですよ、あんまり変わってなくて。しかもみんな地元の中学から上がってくるんですけど、俺だけ片道電車1時間半乗って行ってたんで、友達一切いない…リスタートしたかったんですけど、なんだか自分でおもしろいなと思って、わざとずうっと机の木目を数えていたら誰も話しかけてこないし。かけてきても敬語なんですよね「消しゴム落ちましたよ」って。何だろうと思ってて後で腹を割って聞いたら「ダブった方だと、ヤンキーだと思ったんだよ」って(笑)。あー、ちょっとカッチョいいなって思って」
と、不思議なところにカッチョ良さを感じていた唐橋さんだった。が、高校時代の逸話はこれだけではない。もともと仕事の忙しいお父さんとは顔を合わすことが少なかった彼は、お母さんやお姉さんに育てられたようなものと言う。そのせいなのか、
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「高校2年までYシャツのことをブラウスって呼んでたんですよ。それでホモ伝説が高校の時に流れて(笑)。体育が終わって着替えるじゃないですか。「俺のブラウスがない」って探してたら、みんなの目の色が変わってきちゃって(笑)。ただでさえ、女にも声かけないし、あいつおかしいぞって、伝説が流れましたね(笑)」
と、まあ、高校時代はいろいろとあったにせよ、念願の体操もできて楽しかった時代なんだろう。だけど、そこからこの役者の仕事への繋がりが見えてこない。では、一体どんないきさつで芝居の世界へ踏み込んで行ったのだろうか。
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