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忙しい撮影スケジュールの合間を縫っての取材には、いろいろな工夫が凝らされている。撮影が無い日、本来なら役者もOFFとなる日に、いろいろなメディアの取材をまとめてしまうのもひとつの手段。こういう日は、まる1日雑誌の取材漬けにあうことになる。そして、この日も例外ではなかった。このヒーローネットの取材のあとにも、雑誌の取材が彼を待っていた。そんな限られた時間の中、早速、木場勇治役・泉政行さんにお話を伺うこととしよう。
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移動時間節約のため、次の雑誌取材が行われる出版社の1室を拝借。そこへ現れた泉さんは、劇中の勇治の表情とは違いとても明るい表情をしていた。端正なマスクに爽やかな笑みがこぼれる彼に、『555』のオーディションについて尋ねた。すると
「ライダーになれるぞ、ライダーになってやるぞ!という意気込みで行って」
と、熱い気持ちで臨んだことを知り、ちょっと意外に思ってしまった。そしてオーディションの数日後に、
「事務所の人に「受かったぞ」って言われて「おお! ライダーだ!」って思ったら、「悪役」って言われて「え、悪?」って。でも、今思うと木場勇治役もやりがいがあるなって」
と、すっかり木場勇治にハマっていた。一応悪役らしいが、現段階では勇治のポジションはとても微妙。そんな“敵味方のどちらでもない”ところが泉さんの心を揺さぶっているのかもしれない。
さて、『仮面ライダー555』出演が決定して、家族の反応はどうだったのだろうか? 少年野球の部長をやっているお父さんは…
「チームの子がみんな『555』を観ているらしくて、オヤジは鼻高々みたいです(笑)」
と、とても喜んでくれてるらしい。しかも
「その子供たちにサインを頼まれてきて、「悪いんだけど、書いてくれるか」って(笑)。嬉しいですね」
と、喜んでくれる父親に、さらに喜ぶ泉さん。親孝行している。そしてお年頃のお姉さんは…
「そんなに(番組を)観てくれないですね。ちょっと嫉妬みたいな(笑)。でも、外に出ると「うちの弟さ」って自慢してるらしいんですよ(笑)」
と、やはりそこは照れがあるのだろう。本人の前では“興味無し”の素振り。
さて、気になる泉さんの芸能界入りのきっかけをチェックしてみよう。
「髪の読者モデルみたいのをやってまして…」
ありがちと言えばそうとも言えるが、この読者モデルになるきっかけがまたおもしろいのだ。
「高校の時、同じ学校の話したこともない女の子がどこで撮ったかも分からない俺の写真を、いつの間にかその手の雑誌に送ってまして(笑)」
学校でも光っていたのだろう、目立っていたのだろう。そして泉さんも
「まあ、興味もあったんで「じゃあ、やってみようか」って」
と、意外にすんなりと読者モデルデビュー。そこが第1歩となったわけで、泉さんは今でもその女の子に感謝している。
そしてモデル時代に
「撮られることに「気持ちいいな」って思いまして。もっと奥深く入ってみようと思って、知り合いの人に頼んで、今の事務所に入った訳なんです」
と本格的デビューは自分の意志で果たし、その後演技にも興味を持ち芝居の勉強にも励んだ。そのときの心境をこう語る。
「自分が何をやろうかなと思ったときに、芝居が一番興味があったんで。歌とかよりも俳優になりたいと。1年くらい演技の勉強をしてまして、それで『ごくせん(2002年NTV)』のオーディションを受けたら受かっちゃった…(笑)」
と、ここ頻繁に登場する『ごくせん』だが、それについては、先送りさせてもらうとして。
なぜ、芝居に一番興味があったのか? 何かきっかけがあったのではないかと思い尋ねた。
「小さい頃から芝居に興味があったんですか?」
すると泉さんは、
「頭の片隅にちょっとはあったとは思うんですけど、行動に移す程ではなくて。でも、保育園のときに『浦島太郎』で主役をやったんですよ。多分その頃から興味はあったと思うんです。年中のときだったんで、4歳くらいでした」
と、幼少の記憶を呼び起こしてくれた。4歳で主役を務めた程、もしかしてめちゃめちゃ目立ちたがり屋さんだったのでは? と思ったがどうもそうではないらしい。
「勝手に決まったみたいです、よく覚えてないんですけど。保育園で年長のときも、何の劇かは忘れちゃったんですけど、それの主役もやらせてもらって。それはちょっと女の子っぽい役で「うちの保育園でできるのは、泉くんしかいない」みたいな感じで、抜擢されて。目が大きくて、女の子みたいだったんですよ。でも、すごい恥ずかしがり屋だったんで、多分先生が勝手に決めたんですよ(笑)」
と、むしろ、控えめなお子さんだったようだ。そんな恥ずかしがり屋さんが、大勢の観客の前でお芝居を披露するには、やはりお母さんの力が不可欠だった。
「練習の録音テープとか、今も残っているんですよ。お母さんがセリフを言って、それを自分が繰り返して言ってる。親も協力して一緒にセリフを覚えたりして。そのテープをこの前聴いたんですけど、すごい可愛いんですよ、声が(笑)。高いんですよね」
そんな貴重なテープを録っておいてくれたなんて、ご両親に感謝。きっとご両親も嬉しくてしょうがなかったことだろう。現にそのテープに入っている家族の声は、とても楽しそうだったと言う。この幼児体験が泉さんに「芝居は楽しいものだ」と思わせたのかも。だが、その記憶が泉さんに影響を与えるまでは、まだしばらくかかった。小学生になった泉少年が、まず興味をもったもの、それは“野球”だったから。
「もう野球少年でしたね。小1〜小6まで区のチームに入ってて、区内の成績で85勝6敗とかだったんですよ、恐ろしく強いチームで。そのチームでレギュラーだったから、そこは自信持っていいんじゃないかなって、最近思ってます。ポジションはショートです。とにかくインドアよりも、外で友達とかと公園で遊んだりするのが好きでした。木の上に登ったりして、活発に(笑)」
ということで、テレビを観ていた記憶は少なそう。あまり期待せずに、このコーナーのお決まりの質問を投げかけた。
「子供のころ観ていたヒーロー番組はありますか?」
すると、意外にもすらすらと答えが返ってきた。
「『科学戦隊ダイナマン』『太陽戦隊サンバルカン』のころですね。『仮面ライダー』はその頃、やっていなかったと思うんですよ。唯一観たのが『スーパー1』でしたね。あれがカッコイイなと思って。デザインがシルバーでカッコイイと。ほかでは『宇宙刑事ギャバン』とか『宇宙刑事シャイダー』は観てましたね。『ダイナマン』はいまだに主題歌、全部歌えますし。でも、内容は良く覚えてないですね、歌は鮮明に覚えているんですけど。『555』をやるようになったんで、今までの戦隊シリーズの大全集みたいな本で『ダイナマン』とかを見たんですけど「こんなデザインだったんだ!」って。本当に覚えて無かったですね。あのころはヒーローだと思っていたのに、タイツにシワとかもあって「普通に人間が入っているのがわかる。信じていたのに」とか思って(笑)」
子供の頃の記憶は、やはり曖昧でさらに自分の都合のいいように変わっていたりするもの。その現実を目の当たりにした泉さん、やはりショックは隠しきれない?。もしかしてとても信じやすいお子さんだったとか? ちょっと関係ないかもしれないけど、
「サンタクロースはいくつくらいまで信じてましたか?」
とリサーチすると、ちょっと考え込んでから
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「…保育園くらいまでですかね。小学生とかになったらわかってましたね。『ダイナマン』を観たのは保育園くらいのころでしたね。最近になって子供の頃の写真とか見ると、戦隊のポーズをしていたり、オモチャをもっていたり、ロボットを持って写真撮ってるのが結構あって。「好きだったんだな」って」
本人が覚えて無くても、しっかり戦隊ファンだった泉さん。『ライダー』のほうとは言え、現在は出演する側にある。
「自分が逆に観られる立場になるとは思って無かったですからね。子供に夢を与える側になって…、でも悪ですけど(笑)」
と、子供たちへの影響力に責任感を感じている。
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