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| 今回、インタビューに登場していただくのは『特捜戦隊デカレンジャー』のメイン監督を務める渡辺勝也さん。出演者の皆さんにはインタビューなどで時々お会いするが、監督とお話しする機会はめったにない。さらに、『監督』という言葉のイメージから、“気難しい”という先入観にとらわれ、お会いするまではひどく緊張していた。ところが──。待ち合わせ場所に現れた渡辺監督は勝手な思い込みに反して、とても温厚そうな方。ニューヨークヤンキースのキャップの下からのぞく目に微笑みを浮かべ、「話すのはあんまり得意じゃないんです。うまくまとめてくださいね」とおっしゃった穏やかな表情にこっそり胸をなで下ろして、ご自身のことや『特捜戦隊デカレンジャー』についてなど、ざっくばらんにお訊きしてみた。 |
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インタビューに入る前の雑談で、「初めて現場に入った頃は老けて見られました。逆に今は年齢より下に見られます」と言っていた渡辺監督。お聞きすると、初仕事となったのは『超新星フラッシュマン』で、当時21歳だったそう。「監督になられる前から戦隊シリーズを担当なさってたんですか?」と尋ねると、
「そうです。その前は僕、映像系の専門学校に通ってて。で、就職で東映を斡旋されたんです。その当時、東映の派遣会社があって、そこに専門学校が(スタッフの)空きがないかとか、斡旋してくれみたいなことで話をしたんですね。
最初は、当時放送していた刑事ドラマのスタッフに空きがあるからどうかって言われたんですよ。僕としては現場に出られれば何でもいいや、やってやろうと思っていたので『いいですよ』と言ったんですけど、その時の現場の方が『家はどこだ』と。僕、実家が茅ケ崎なんですけれども、撮影所まで遠いから今回は無理だなっていう話になって。最終的に落ち着いたのが戦隊だったという。たまたまですね、決まったのは。すごい希望して戦隊がやりたいと言ったわけではなくて。もちろん、子供の頃から好きでしたから、願ったり叶ったりっていうのもあったんですけれど。ただ、これが普通の刑事モノの現場に入っていたら、それはそれでやっていたのかなという気はしますね。たまたま戦隊でずっと来たという」
そもそもは病気で休む他の助監督の穴を埋めるため、フラッシュマンの現場に配属されたという渡辺監督。最初は、とりあえず2ケ月の予定だったのが、結局、フラッシュマン、マスクマン、ライブマン、ターボレンジャー、ファイブマン、ジェットマンと6年にわたってスーパー戦隊シリーズの助監督を努めたのだと言う。
「セカンド助監督、チーフ助監督とだんだん上がっていきますけれど、ずっと助監督をやってました。で、ジュウレンジャー。このジュウレンジャーでチーフ助監督から監督に昇進したんです。ジュウレンジャーが終わってからは、ダイレンジャー、カクレンジャー。この頃はずっと戦隊ですよ。
で、カクレンジャーの次にビーファイターというシリーズをやらせていただいて。終わってから、カーレンジャーでまた戦隊に戻って・・・」
とこれまで担当した作品をずらり。カーレンジャーの後は、ビーロボカブタック、テツワン探偵ロボタックを経て、ゴーゴーファイブで再び、スーパー戦隊シリーズへ。さらに、仮面ライダークウガ、ガオレンジャー、ハリケンジャー、アバレンジャーと続き、現在のデカレンジャーにつながるのだという。
フラッシュマン以来、特撮ヒーローものの制作に携わって20年近くなる渡辺監督だが、ご自身が小さかった頃はどんなヒーロー番組をご覧になっていたのだろうか。渡辺作品のファンならずとも気になるところだ。
「プライベートではねぇ、子供の頃はもちろんゴレンジャーを見ているじゃないですか。僕らの世代っていうのはアニメやヒーローものがすごくたくさんあって、ゴールデンタイムにやってましたから。夕方は再放送、朝も再放送。(番組数が)一番多かった時期ですよ。迷うほどですからね、どれ見ようかと。今、ゴールデンタイムっていったらクイズやバラエティじゃないですか。でも、あの頃はゴールデンタイムって言ったら特撮、アニメ番組。それで育ってきてますから、かなり見てましたね。
ただ、今となっては内容は覚えてない。歌はちょっと覚えてたりするけど、どういう内容だったかはほとんど忘れてますね。戦隊はジャッカー電撃隊も見てたけど、内容は忘れちゃったな。八手三郎作品になってからはね、ダイナマンくらいまで見てたかな。ダイナマンの頃はもう高校生くらいでしたけど、見てましたね。ダイナマンくらいになると、毎週じゃないかもしれないけど」
昭和40年生まれの渡辺監督。ご本人がおっしゃる通り、40年代は特撮番組花盛りの時代だっただけに、戦隊シリーズ以外にも、いろいろな番組をご覧になっていたと言う。
「『帰ってきたウルトラマン』ぐらいから、ウルトラマンも見てましたね。再放送で随時やってましたし。ただ、子供心からすると『帰ってきたウルトラマン』は暗くってダメでしたね。今はね、大人として見るとドラマ的な感覚でいいのかもしれないですけど、当時はね、ダメでした。隊員同士で喧嘩してるっていうのがイヤでね。逆に『タロウ』が好きでしたね。明るく楽しく戦ってるヒーローっていうのが。やっぱりね、子供の頃の感覚なんでしょうね。今見ると『あらあらあら〜』みたいなのがあるかもしれないですけど(笑)。
しばらくすると、立ち回りの時に歌がかかるのがイヤだったんですよ。今は、ここぞっていう時にガンと歌がかかる方が好きなんですけれどね。子供でも物心つくと大人びる時代があるじゃないですか。そういった目で見るとね、戦いの時に歌がかかるのは嫌だったんですよ」
戦隊、ウルトラマン・・・とくれば、気になるのが仮面ライダーだが、こちらも当然のごとくご覧になっていた。
「ライダーは一番見てました。仮面ライダーがウルトラマンより一番好きでしたね。おもちゃもいろいろ買ってもらった。一番好きだったのはライダーでした。だから、自分がライダーやると思わなかったですけどね」
では、仮面ライダークウガで監督をなさった時は、さぞ感慨深かったのでは・・・とお訊きすると、
「もう、その頃になると、そういうのはなかったですね。ライダーもどういう話だったか、逆に忘れちゃってるんですよ。で、最近、CS放送なんかでその頃のものを見ると、『あれ?こんなんだったけな』とか、『これ、お面が脱げかけちゃってるよ(苦笑)』て思ったりして。水中で泳いでるライダーもあったんですけど、『うわっ、お面がハズレかけちゃってるよ』っていうような見方になっちゃってましたね。『これ、足ビレつけて泳いでんなあ』とか(笑)。変な見方するようになっちゃってました。当時はそんなこと、何にも思わなかったけど(笑)」
と笑っていた。 |
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